渇いた笑いが一人で淋しい

毒を抜きに来ます

「私だってそう、みんなそう」

つらくない人なんていない

みんな大変なのは知っているし、それでも頑張っているんだっていうのは重々承知で。

いつこれ作ろう、いつアカウント作ろうと思っていたら二、三年経っていました。

前からアカウントは作ろうかな~と思っていたのです。

ブログで吐き出したいのを我慢できなくなったころ、

「自分だってつらい思いしている。みんなそうなんだから」

みんなそうなんだから、お前だけつらいのを表に出すのは卑怯なんじゃないの?

ということを、その時抜けられなかったコミュニティーで集中砲火のように言われて、なんか切れました。

卑怯だめなの?みたいな。居直り。

特に巷の「泣きそう」作戦なんて敷いていませんでしたし、平常を装っていました。

我慢できるつらさだったので自分からは何も言っていませんでした。

だがあまりにも顔色がよくなかったらしく相手から聞かれて実は…と具合悪いことをひとこと言ったまでです。

心配はしてくれました。悪い人たちではなかったので。

相手はパブリックイメージで「素直で優しくて善良な人たち」の集団でしたから。

イメージは正しいです。

ただ、弱者や欠落した者に「素直で優しくて善良」な影響を与えれば変化を促せるはずだ、ということを信じて疑っていませんでした。

それが私にとって副作用過剰となって毒になってしまいました。

だらだら書いていますが、言ってしまえば

私は打たれ弱いから、聞かれていない、見られていない所でひとりごちる場所が欲しかった

というだけです。

 

 

言質を取られるのがこの世で一番怖い

「何時にこのツイートしてたじゃない。何でまだこれできてないのよ。どうして遊びの○○ができてこっちできないのよ」

って言われるんじゃないかってびくびくしながら、アリバイ作りをするかのように

「どこどこに行ってきた」

「なになにをした」

と時系列を計算されないように、揚げ足をとられないようにつぶやいたり書いたりしてきました。

それに疲れました。

完璧主義では絶対ないのですが、他者に自分の過失を突かれるのが極端に恐ろしく思っているのです。

だからここに逃げ場所を作りました。

 

ちょっと疑ってる

ADHDとか鬱とか、精神障害、不安障害、あさ〇チなどで取り上げられだしましたよね。

ネットで自己診断やると大抵

重度の○○障害です。すぐに医療機関で医師の診断を~

って出てきます。

名前=レッテル

が付くと何かが楽になるのかなあ、楽になったら普通の人の感覚になるのかなあ。 

多くの人を医療機関に向かう理由づくりのため

納得させてちょっと抱えてる自分にさせるため

など、思惑やらなんやら想定するのは難しくありません。

診断基準に引っかかりやすくしているのはわかっています。

ももし黒だったとして、身内が否定的だから、自分で全部やんなきゃ。

それがちょっともやもやさせています。考えを。

 

何であってもどこかで全員に許されたい

mixiから始まり、アメブロやエムブロなど色々渡り歩いていて、ついにはてなの世界へ足を踏み入れました。

SNSが人とつながるためのものであるならば、私はただちに持っているすべてのアカウントを破棄しないといけなくなると思います。

大きな交友関係を築いている人にフォローされた途端更新する意欲をなくし、裏アカウントをセルフいたちごっこ。

はてなは玄人さんがたくさんいて、それなりのエントリーが不文律の上に広がっているイメージなのですが、ブログのくせに誰にも見られたくない(想定外の反応で返されたくない)このどうしようもない散文をもう、なんかその、見過ごしてやってくれませんか。