渇いた笑いが一人で淋しい

毒を抜きに来ます

辞めたら停止の死亡保障プランを見て「やめる前に死ななきゃお金もらえない…」と口走ってしまって、「収入がないのはわかったから無理してお金作ろうとするな」と両親に窘められてしまった 「何とかなるから大丈夫」ってこの歳で親に言わせる言葉じゃないよなあ

じゃあ何で別に堅実な世界に挑戦しなかったんだって話なんだけど、それはそれで自分の中に別の目標があって、でもそれを今見失った

自分の子どもに本当に熱意があるのか怪しいままお金もいっぱい出してさ、で別のお堅い所に行って後は手習いでっていうのもありだとは思うんだけどさ、そのお堅い所とこれからの所を天秤にかけて、今までのお金が生きるのはって考えたらやっぱりこっちだった。でも死にそう。

もし奇跡的にお婿さん見つかったらすぱっと辞めるつもり。だったんだけど恩師に定年までやりなさいよと言われ、内心(私が決めることじゃないのかなあ…いやずっとやってほしいという気持ちを言いたいのはわかるんだけど)とか考えてしまって。見渡せば専業主婦の家庭は周りではうち位なんだよな。

こんなこと紙に書けないからもう少し垂れ流す。 新卒の枠が多いうちに一般→家庭に入る→ も考えたんだよ。

一番向いてるのはPCや書類捌く仕事なんだろうなあっていうのは百も承知。最初はそっち行こうとしてた。受けないけど高校の時に秘書検の本買ったくらい。あと、どうして結局それもやめたかっていうと、自分に合ってないとわかってて飛び込めるタイムリミットがシビアにわかってきたから。

一般に行ったがやっぱり仕事を諦めきれなくてって人も研修にいたけど、どんなに頑張っても元の場所を抜けられなくて研修すら不可能になって終わってしまった。決意が鈍った人からどんどんいなくなるし決意が固くても引き戻されてしまう人もいる。

とりあえず、ここまで来たらやるか辞めるかしかないんだし、辞める代償は道路に飛び出ても戸籍売ってもどうにも返せないのはわかってるから、罪悪感の限りお金をちびちび返していって、自分の中で決めた返済額に到達したらそれから仕事については考えよう。そのまま続ける力があればの話もあるけど

一番心に残したい文章

名もなき毒」を観ていたころ、人の毒についてよく考えていた。

あのドラマの、口元を映して主人公の内面がむしばまれていくのが、見ていて身に覚えを隠せなかった。

適当にネサフしていて、ある小説?随筆?が目にとまり、時折読みたくなっている。

ncode.syosetu.com

 

おそらくフィクション?なのだろうが、自分の言いたいこと、やりたいこと、なりたいこと、させたいことがすべて代弁されているのがたまらない。

ああ、自分の過失抜きで人の傷を作りたい。

痛みを引き換えに罪悪感が消えればいいのにってくらい罪悪感アレルギーです。

「私だってそう、みんなそう」

つらくない人なんていない

みんな大変なのは知っているし、それでも頑張っているんだっていうのは重々承知で。

いつこれ作ろう、いつアカウント作ろうと思っていたら二、三年経っていました。

前からアカウントは作ろうかな~と思っていたのです。

ブログで吐き出したいのを我慢できなくなったころ、

「自分だってつらい思いしている。みんなそうなんだから」

みんなそうなんだから、お前だけつらいのを表に出すのは卑怯なんじゃないの?

ということを、その時抜けられなかったコミュニティーで集中砲火のように言われて、なんか切れました。

卑怯だめなの?みたいな。居直り。

特に巷の「泣きそう」作戦なんて敷いていませんでしたし、平常を装っていました。

我慢できるつらさだったので自分からは何も言っていませんでした。

だがあまりにも顔色がよくなかったらしく相手から聞かれて実は…と具合悪いことをひとこと言ったまでです。

心配はしてくれました。悪い人たちではなかったので。

相手はパブリックイメージで「素直で優しくて善良な人たち」の集団でしたから。

イメージは正しいです。

ただ、弱者や欠落した者に「素直で優しくて善良」な影響を与えれば変化を促せるはずだ、ということを信じて疑っていませんでした。

それが私にとって副作用過剰となって毒になってしまいました。

だらだら書いていますが、言ってしまえば

私は打たれ弱いから、聞かれていない、見られていない所でひとりごちる場所が欲しかった

というだけです。

 

 

言質を取られるのがこの世で一番怖い

「何時にこのツイートしてたじゃない。何でまだこれできてないのよ。どうして遊びの○○ができてこっちできないのよ」

って言われるんじゃないかってびくびくしながら、アリバイ作りをするかのように

「どこどこに行ってきた」

「なになにをした」

と時系列を計算されないように、揚げ足をとられないようにつぶやいたり書いたりしてきました。

それに疲れました。

完璧主義では絶対ないのですが、他者に自分の過失を突かれるのが極端に恐ろしく思っているのです。

だからここに逃げ場所を作りました。

 

ちょっと疑ってる

ADHDとか鬱とか、精神障害、不安障害、あさ〇チなどで取り上げられだしましたよね。

ネットで自己診断やると大抵

重度の○○障害です。すぐに医療機関で医師の診断を~

って出てきます。

名前=レッテル

が付くと何かが楽になるのかなあ、楽になったら普通の人の感覚になるのかなあ。 

多くの人を医療機関に向かう理由づくりのため

納得させてちょっと抱えてる自分にさせるため

など、思惑やらなんやら想定するのは難しくありません。

診断基準に引っかかりやすくしているのはわかっています。

ももし黒だったとして、身内が否定的だから、自分で全部やんなきゃ。

それがちょっともやもやさせています。考えを。

 

何であってもどこかで全員に許されたい

mixiから始まり、アメブロやエムブロなど色々渡り歩いていて、ついにはてなの世界へ足を踏み入れました。

SNSが人とつながるためのものであるならば、私はただちに持っているすべてのアカウントを破棄しないといけなくなると思います。

大きな交友関係を築いている人にフォローされた途端更新する意欲をなくし、裏アカウントをセルフいたちごっこ。

はてなは玄人さんがたくさんいて、それなりのエントリーが不文律の上に広がっているイメージなのですが、ブログのくせに誰にも見られたくない(想定外の反応で返されたくない)このどうしようもない散文をもう、なんかその、見過ごしてやってくれませんか。